放送禁止歌

今日4月16日の「毎日新聞」朝刊11面に興味深い記事が載りました。ブロード・キャスターのピーター・バラカンが語る「風評被害を広げているのは誰か」(View Point欄)です。

本ブログでも紹介した、忌野清志郎(RCサクセション)の「ラブ・ミー・テンダー」と「サマー・タイム・ブルース」を巡る話。反原発のメッセージを明確に織り込んだこの二曲は、RCサクセションが所属した東芝EMIの親会社が原発メーカーの東芝だった関係で、発表当時の1988年にいわゆる放送禁止歌になった経緯があります。ただ、日本には特定の歌を禁止する法律はなく、メディアによる自主規制です。

3月11日以降、ピーターのFM番組に、「ラブ・ミー・テンダー」と「サマー・タイム・ブルース」のリクエストが集中しました。しかし、ここで番組責任者は「ラブ・ミー・テンダー」の放送に後ろ向き。「放射能はいらねえ、牛乳を飲みてえ」という一節が風評被害を広げかねないという理由だったそうです。発表から23年を経て、ふたたびメディアによって実行された自主規制=「放送禁止歌」措置。番組では、「サマー・タイム・ブルース」は放送され、「ラブ・ミー・テンダー」は抑え込まれたようです。

ピーターは言います。「ジャーナリズムの役割は権力を牽制することだ」「日本人が風評という言葉の前で思考停止に陥る危険性もある」。
振り返ってみましょう。私たち日本人が被った最大の風評被害とはなんだったのか?間違いなく太平洋戦争時の大本営発表でしょう。国の発表そのものがでっち上げ、巨大な風評だったという恐ろしい歴史です。
今回の福島第1原発の事故に関しても、「ただちに健康被害を及ぼす量ではない」とか、どうも国家が発する風評が目立ちます。70年近く前とは言え、官製の風評に大きな被害を被った日本人は、もっと懐疑的であってよいし、もっと心配性であってよいと思います。もう一つ、ピーターの発言で印象に残ったのは、「農家や漁業者らは怒りの矛先を消費者ではなく、原子力政策を推進してきた国や電力会社、強いていえば、有権者自身にも向けるべきだと思う」。
この言葉の裏を返せば、国や電力会社が進める原子力政策をなすがままに許してきた日本の有権者は反省すべきだと言っているのでしょう。ピーターの母国・イギリスも原子力発電を積極的に進めています。この発言は、ピーター自身に向けた叱咤激励の言葉でもあるとするのは、私の考えすぎでしょうか?

東電と国が引き起こした大事故に対して、私たちが自主規制する必要などまったくありません。メディアも、権力を監視するという本来の役割を取り戻すべきです。
そして、私たちは怒りを向ける矛先を、もう一度、明確にすべき時期に来ているのではないかと感じています。清志郎の「ラブ・ミー・テンダー」を口ずさみながら…

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