東京と原発

目前に迫った東京都知事選。原発への対応が大きな争点になっています。
なぜ、東京都民が原発のことを論じる必要があるのか?
「福島第1で発電した電気の大半は東京で消費していたから」「東京にも放射性物質が降り注いだから」「いまだに東京にも空間線量の高いホットスポットがあるから」「事故直後に飲料水の使用制限がかかったことを覚えているし」など、いろいろです。それぞれもっともで、間違ってません。
しかし、もっとも重大なことを見落としているような気がします。
福島第1の事故が、今のレベルで収まっているのは、いくつかの幸運があったからなのです。
東北はもとより、東京都を含むほぼ関東全域から、全住民が避難を余儀なくされる可能性があったのです。これは、低い確率ではありませんでした。
不適切な言葉かも知れませんが、”不幸中の幸い”が重なって、今、東京には人が住んでいられるのです。
本当は何があったのか… 事実を正確に知れば、今、東京都民こそが、即時脱原発に邁進すべきだと理解できるでしょう。
【どうか福島をはじめとする被災者の皆さんは気を悪くしないでください。当サイトの主張は「年間1ミリシーベルト以上の地域の住民には、無条件の移住権と完全なる生活の保障を!」で変わりません】
何が起きようとしていたのか… たどってみましょう。
3.11から2週間後の3月25日に、当時の近藤駿介内閣府原子力委員長が菅首相に提出した報告書。いわゆる『最悪のシナリオ』と呼ばれるものがあります。そこに書かれていたのは、「原発事故の今後の推移によっては、東京都のほぼ全域や横浜市まで含めた福島第1から250kmの範囲が、避難が必要な程度に汚染される」という衝撃的な内容でした。当時まだ、東電も国も、メルトダウンをはっきりとは認めず、「核燃料の健全性は守られている」などと言っていた頃です。
『最悪のシナリオ』に書かれていた”原発事故の今後の推移”とは、何を指しているのか…
1号機・3号機の再爆発も想定されていましたが、もっとも重大だったのは、4号機使用済み核燃料プールのメルトダウンと再臨界です。
当時、この核燃料プールには、1331本の使用済み核燃料と204本の新燃料がありました。
チェルノブイリ4号機の炉心にあった核燃料は、福島第一形に換算する699本です。4号機の核燃料プールだけで、倍以上の量があったのです。さらに、1号機から4号機まで、すべて合わせると4604本の核燃料が。チェルノブイリの7倍近くに達するのです。
4604本の核燃料が、メルトダウンや再臨界を起こしたら… 背筋が凍るとはこのことです。チェルノブイリでは半径30kmが強制避難の基準でしたが、『最悪のシナリオ』が250kmを想定した理由は、この膨大な核燃料によるのです。
では、なぜ、今のレベルで事故が収まっているのか…
東電が2011年12月2日に公表した「福島原子力事故調査報告書(中間報告書)」の添付資料を見てみましょう。
3月13日あたりから、プールの水位が一気に下がり始めます。全電源喪失によって、冷却水の循環が止まり水温が上昇。3月13日には沸騰が始まっていたのです。沸騰すると、水は急速に蒸発します。そして、燃料棒を包み込んでいるジルコニウムと水が反応して、大量の水素が発生します。
3月15日午前6時14分、何かの火がたまっていた水素に引火して、4号機建屋は水素爆発で吹っ飛びました。
写真は、爆発の凄まじさを物語っています。
しかし、結果的には、この爆発こそが”不幸中の幸い”だったのです。建屋の壁が壊れた部分から注水して、なんとか燃料棒を冷やし続けることができました。
そして、もう一つの偶然は、原子炉の上にある原子炉ウェルに、たまたま溜めてあった水が、プールに流れ込んだのです。「水圧の関係でゲートが壊れた」と言われていますが、時系列で見ると、ゲートが壊れたのも、爆発のせいである可能性が高いです。
さて、外からの注水と原子炉ウェルからの水の流入で、辛うじて最悪の事態を脱するのですが、たとえば、地震のせいで、建屋の上部に水素を逃がす小さなすきまが開いていたらどうなっていたでしょうか?あるいは、水素爆発がもう少し小規模で、注水できるほどの穴が開かなかったらどうなっていたでしょうか?
ほどなく水はなくなり、核燃料は溶融(メルトダウン)を始めます。最初に溶け出すのは、大きな崩壊熱を出す使用済み核燃料です。ドロドロに溶けた使用済み核燃料は、みずからはほとんど発熱しない新燃料をも巻き込んで、これも溶かしてしまいます。
新燃料には臨界しやすいウラン235が高い濃度で含まれています。ウラン235は一か所に多く集めると臨界を起こします。だからこそ、細い燃料棒に分けているのです。これが溶けて集まったら、アッと言う間に臨界です。連鎖的核分裂反応によって、たくさんの放射性物質と放射線がまき散らされ、巨大な熱が出ます。次に来るのは、大規模な水素爆発か、あるいは、メルトダウンした核燃料が、地下水か海水に触れて起きる水蒸気爆発。4号機のみならず、福島第1全体が、今とは比較にならないほど酷い状態になっていたはずです。たくさんの人命が失われたでしょう。
そして、チェルノブイリの数倍という放射性物質が東日本を覆い、私たちは我先にと、西へと逃げたのでしょう。東日本は終わりです。
忘れてはならないのは、ここで想定した事態は、「もしかしたら起きたかも知れない」というレベルのものではないということです。「避けられたことが奇跡的」と言っても差し支えないでしょう。
「水素爆発で建屋の壁に穴が開いた」「原子炉ウェルのゲートが壊れた」という2つの大きな偶然が重なって、なんとか『最悪のシナリオ』は回避でき、今も東京に人が暮らせているのです。
東京都民は、もう一度、福島第一原発の事故の、特に当初の推移を思い出し、みずからの問題として問い直してみる必要があります。
私たちは、原発とは共存できません。

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