原発ウオッチャーたち

昨日、仕事の関係で数名の女性と初めて知り合いました。休憩時間中の雑談は話題は、なんと「福島第1原発の事故」。彼女たちは、ユーストリームで配信されている原子力安全・保安院の会見東電の会見をほとんど見ているとのこと。リアルタイムでは見きれないので、一部はスマートフォンにダウンロードしているそうです。
いきなり、「炉心溶融なんて、最初から起きてるに決まってるじゃない!」「今頃、何言ってるのよ」「トレンチから汚染水が海に流れ出したら大変よ」と(トレンチという専門用語を普通に使っていたのも本当です)。いやはやテンションが高い。
原子力安全・保安院のスポークスマン=西山英彦審議官をヒデちゃんと呼び、「保安院のヒデちゃんは、東大法学部、通産省、ハーバードロースクールなのよ」と、私がまったく知らなかった情報を披露してくれました。凄い!

彼女たちの薦めにより、ユーストリームで東電の会見をじっくりと見ることにしました。当然、テレビニュースで伝えられている発表がごくごく一部だと実感。画面横に表示されるチャットの文面には、重大事故を茶化しているようなものも見受けられますが、「なるほど」と思わせる鋭い指摘が飛び込んでくることも。

リアルタイムのストリーミング中継には、「メディアによる解釈」が入り込む余地がありません。また、ネット系情報によく見られる「デマ」の入り込む余地もありません。受け取った視聴者たちは、一から百まで、自分の頭で考え、自分なりの結論に達する。これは新しい報道情報の発し方であり、受け取り方です。一方で、それを見る人たちは、政府や東電に遠慮した当たり障りのない報道しかしない既存のマスメディアに対して、はっきりと「ノー」を突きつけているのです。

だからと言って、私自身は、既存のマスメディアが駄目だと断じるつもりはありません。広い範囲からたくさんの情報を集め、それを整理し、解釈して世の中に知らしめることは、多くの人員と機材とネットワークを持つ彼らにしかできないこと。また、それが、マスメディアの責任であり、義務です。

「報道機関の独立性・独自性を捨て去ったような<事なかれ主義>の報道では、社会的な出来事に本当に興味を持つ人たちをつなぎ止めることができなくなりますよ」
そんな危惧を感じているのは、私だけはないと思います。

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