本日は大飯発電所3、4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。
4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体のご理解を得るべく取り組んでまいりました。
夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければならない時期が迫りつつあります。
国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。
>「国民生活」の大前提は、「命」と「健康」でしょう。
その具体的に意味するところは2つあります。国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。
福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一、すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています。
>「すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らない」という確認は、いつ、どこで、誰が行ったのでしょうか?あの斑目委員長だって、この発言には首を縦に振らないはずです。
「長時間の全電源喪失が起きれば、必ず炉心損傷(メルトダウン)に至る。だから、全電源喪失だけは起こさないようにしなければならない。しかし、それを100%防ぐ手だてはない」というのが、原発推進派も含めた基本的な理解です。
また、福島型の地震・津波以外の原因であれば、また「想定外」で逃げられる文脈になっていることも見落としてはいけません。この作文はかなり狡猾です。
これまで1年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。
もちろん、安全基準にこれで絶対というものはございません。
最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが、東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。
>数秒前に言った「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています」と「安全基準にこれで絶対というものはございません」は、完全に矛盾しています。
安全基準に絶対がないと認めることは、事故を100%防止はできないと認めることと同義です。
そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。
その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進展することを強く期待をしています。
>「原子力安全規制庁」のことを言っているのだと思いますが、なぜ、その発足が遅々として進まないのか、一言も触れないのは卑怯と言ってもよいでしょう。
また、「推進」と「規制」を同じ組織でやってきたことが、福島第1事故の遠因の一つになっていることを認めなければ、話は進みようがないでしょう。
過去を振り返れば、行政による「規制」はほぼなかったというのが事実なのですが、それにも言及せずです。
こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。
その間、専門職員を要する福井県にもご協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。
>「こうした意味」の「こうした」が何を指すのか、まったく意味不明。なにをして、「実質的に安全は確保されている」と断言できるのでしょうか?
大飯原発には、格納容器の爆発という最悪の事態をギリギリの段階で抑えるための、まともなベント設備はありません。ベントに際して、放射性物質の放出を多少でも少なくするウェットベントやフィルター付きベントは備えていないのです。免震事務棟もありません。おそらく、3.11以降の改善点と言えば、消防車を増やしたことと、ディーゼル発電機の設置場所を変えたことくらいでしょう。
一方、スイスでは、国内すべての原発にウェットベントとフィルター付きベントと完備しています。しかしそのスイスは、すべての原発の廃炉を決定しました。「100%安全に近い原発を作ることはできるが、100%安全な原発を作ることはできない」というのがその理由です。
このスイスの人たちの判断を野田首相は、どう受け止めるのでしょうか?
これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置いたします。
なお、大飯発電所3、4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります。
>野田首相は、福島を経てもなお、原発と原発事故の怖さをまったく理解していないとしか思えません。
国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。
豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。
これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。
>これは危険な恫喝です。
かつて、「大陸進出しなければ日本は立ちゆかない」「満州がなければ日本は立ちゆかない」という集団ヒステリー状態に駆られて、とんでもない事態を引き起こした経験を思い出す必要があります。
「豊かな暮らし」→「豊富な電力」→「原子力発電」という単純な構図が間違っていたんだと、今、多くの人が気が付き始めている時に、首相がこのレベルでは…
いや、シニカルに冷笑している場合ではありません。この論法の根底にある、きわめて危険な発想を見ぬく必要があります。
数パーセント程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかもしれません。しかし、関西での15%もの需給ギャップは、昨年の東日本でも体験しなかった水準であり、現実的には極めて厳しいハードルだと思います。
仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。
>これは、福島の人は怒りますよ!
福島で、故郷を失い、仕事を失い、家族との暮らしを失い、被ばくの恐怖に晒されながら生きている人たちのことを心の隅にも置いていない酷い発言です。
また、原発が動かないと命が失われるとか、雇用がなくなるとか言うなら、それを防ぐのが政府の仕事でしょう!原発無しで。野田総理は、政府や行政がやるべきことを放棄して、「面倒だから、元通りで」と言っているに過ぎません。
東日本の方々は震災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。計画停電がなされ得るという事態になれば、それが実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱をしてしまいます。
そうした事態を回避するために最善を尽くさなければなりません。
夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。
化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。
そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。
>繰り返しになりますが、原発が動かないと日常生活や経済活動が破綻するという単純化は、きわめて危険な考え方です。
多くの研究者が言っているように、原発が無くても日本は沈没しません。
原発の無い日本を前提に、次の100年、200年のビジョンを考えるのが政府の仕事でしょう。
さらに、我が国は石油資源の7割を中東に頼っています。仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります。
そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。
>ここでもまた、都市生活だけに注目です。
本当は原発なんか無い田舎にこそ、豊かで人間らしい暮らしがあるのに…
野田首相の想像力の乏しさには、ほとほと呆れざるを得ません。
関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費時に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。
>こういうのを慇懃無礼(いんぎんぶれい)と言います。
事実を言えば、福井県だっておおい町だって、ボランティア精神で原発を受け入れてきたわけではありません。
一方、おおい町だけではありませんが、豊かな自然と山海の恵みにあふれる地域が、原発を受け入れざるを得ない状況を作ったのは、この国の政治だということを強く反省すべきでしょう。
以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。
国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。
その上で、特に立地自治体のご理解を改めてお願いを申し上げたいと思います。ご理解をいただいたところで再起動のプロセスを進めてまいりたいと思います。
福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よくよく理解できます。
>野田総理は、福島の痛みをまったく理解していません。
もし、少しでも理解しているなら、この会見の中に、「大都市における豊かで人間らしい暮らし」なんていう視点は登場しないでしょう。
しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。
>「人々の日常の暮らしを守る」というのは、すべての原発の廃炉を決めることに他なりません。
福島第1の事故が、どれだけ人々の暮らしを揺るがしているのか… それを二度と起こさないための選択肢は明らかなのです。
一方、直面している現実の再起動の問題とは別に、3月11日の原発事故を受け、政権として、中長期のエネルギー政策について、原発への依存度を可能な限り減らす方向で検討を行ってまいりました。
この間、再生可能エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。
>太陽光発電、風力発電はもとより、日本列島は、地熱発電や海洋発電(潮力発電など)に適した自然環境下にあります。
野田政権が、再生可能エネルギーの拡大に本格的に努力した形跡を認めることができません。もしあるなら、大々的に発表してほしいものです。
再生可能エネルギーの特徴の一つは、地域地域で適する発電方法が異なるということ。エネルギー源の多様性を意識した積極的な政策が求められています。
そのためには、まず、原発にドップリと浸かって、手も足も出せないでいる状況から、政府みずからが抜け出さないと…
これは国の行く末を左右する大きな課題であります。
社会の安全・安心の確保、エネルギー安全保障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、政府として選択肢を示し、国民の皆様との議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。
国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります。
再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。
国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞご理解をいただきますようにお願いを申し上げます。
>残念ながら、「ご理解」できません。
また、原子力に関する安全性を確保し、それを更に高めていく努力をどこまでも不断に追及していくことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。
>3.11以降、本格的に原発の安全性を高めるような改善は、どこの原発でも行われていません。原子力政策の見通しが不透明な中、電力会社が大きな投資を渋っているわけです。
一方、どんなに努力しても、原発の安全性を100%確保することはできません。もちろん火力発電所だって事故は起こすし、ガスタンクだって爆発します。しかし、原発の事故はレベルが違うのです。それを福島第1が具体的に教えてくれました。
原発は100%安全でなければならないのです。しかし、100%の安全を確保することは不可能なのです。