3.11以来続いてきた東電の情報隠蔽。この間の「黒塗りの手順書」の一件で、頂点に達したかの感があります。
『50行中48行黒塗り 東電、国会に原発事故手順書提出』【朝日新聞9月12日】
そもそも、日本の原子力平和利用に関しては、『原子力基本法』に掲げられている『民主・自主・公開』という大原則があります。
しかし、「民主的」に運営されるはずだった原子力委員会や原子力安全委員会には、原発に懐疑的だったり、反対の立場を取る科学者は、一人も入っていません。
研究、開発、利用は、すべて「自主的」に行うはずでしたが、福島第1をはじめとする多くの原発で、アメリカ製の原子炉が使われていることを見ても明らかなように、どこにも「自主」は見当たりません。
そして「公開」。この公開の原則は、一私企業の営利追求に対して、絶対的に優先するものです。社内文書である事を理由に公開を拒み続ける東電の立場は、明らかに原子力基本法に違反しています。そもそも、東電は、みずからが人類史に残る重大事故を引き起こしてしまったということを認識しているのか?それすら疑問に思えてきます。すべての情報を公開しない限り、事故原因の究明には至りません。情報の隠蔽が、収束作業の妨げになることは間違いのないところです。
そもそも、『民主・自主・公開』という大原則を打ち出したのは、私が大学時代に教えを受けた理論物理学者の武谷三男先生です。雑誌「改造」(1952年11月号)における主張を見てみましょう。
「日本人は、原子爆弾を自らの身にうけた世界唯一の被害者であるから、少なくとも原子力に関する限り、最も強力な発言の資格がある。(中略)
日本で行う原子力研究の一切は公表すべきである。また、日本で行う原子力研究には、外国の秘密の知識は一切教わらない。また外国との密接な関係は一切結ばない。日本の原子力研究のいかなる場所にも、いかなる人の出入りも拒否しない。また研究のためいかなる人がそこで研究することを申し込んでも拒否しない。以上のことを法的に確認してから出発すべきである」
原子力基本法と武谷先生の民主・自主・公開を見比べてみると、雲泥の差があることがお分かりかと思います。武谷先生は、安全性の面から見て、原子力発電の実用化に対しては、絶対反対の立場を取ってきました。だからこそ、原子力の研究には、民主・自主・公開が不可欠だと主張していたのです。
3.11以降、様々なところで、武谷先生の主張が引用され、一部では、「武谷三男でさえ、原子力の平和利用に賛成していた」というような紹介がなされていますが、これはまったくの間違いで、「原子力研究の大原則は、民主・自主・公開」「原子力発電には反対」というのが正しい解釈です。もちろん、原子力研究とは原発のための技術開発を意味しているのはなく、原子核に関する広範な研究のことを指しています。
一方で、武谷先生の『民主・自主・公開』というキーワードが、原子力基本法に生かされたことも事実です。学生時代、このことを疑問に思っていた私は、先生に質問をしたことがあります。
私「民主・自主・公開っていうのは、条件によっては原発を認めることになりませんか?」
武谷先生「君たちはまだまだ若いね(笑)。今の日本で、民主・自主・公開が実現できると思っているのかね?」
私「しかし、原子力基本法が民主・自主・公開を謳っていますが…」
武谷先生「ありゃ、いかさま!ペテンですよ!あれは」
テープレコーダーで録音したわけではないので、一言一句まで正確ではないと思いますが、こんなやり取りがあったのは事実です。武谷先生は、日本政府と原子力基本法に対して、心底、怒っていました。
しかし、今、国や東京電力の姿勢を見てみると、「いかさま」で「ペテン」の原子力基本法の民主・自主・公開さえ反故にしています。なりふり構わず、事故を過小評価し、保身を計ろうとしているとしか思えません。
これを機会に、私たち自身が、みずからの言葉として『民主・自主・公開』を認識し直し、国や東電に、それを突きつけていくことが必要だと考えています。