毎日新聞で、『この国と原発:第2部・司法の限界』という興味深い連載が始まりました。
過去、原発の安全性を巡る裁判では、ことごとく住民敗訴の判決が下されてきました(一部の下級審を除く)。記事の中では、判決内容の変遷などに触れながら、敗訴とは言え、判決文で原発の安全性に言及するなど、その内容が変わってきていると指摘しています。ただ一方では、裁判所が電力会社や政府のやり方を、まさに「追認」してきたという事実は曲げようがありません。
過去、原発の安全性を巡る裁判では、ことごとく住民敗訴の判決が下されてきました(一部の下級審を除く)。記事の中では、判決内容の変遷などに触れながら、敗訴とは言え、判決文で原発の安全性に言及するなど、その内容が変わってきていると指摘しています。ただ一方では、裁判所が電力会社や政府のやり方を、まさに「追認」してきたという事実は曲げようがありません。
連載の第1回目は、
『原発:「司法判断困難」 元担当裁判官10人が心情吐露』
実際に各地の原発訴訟を担当した裁判官OBが、「原発問題を司法の場で扱うことは難しい」と吐露しています。
●原発問題を司法で扱いにくい理由:
・理系のスタッフがいない。
・原発推進の社会的・政治的要請の中で、司法が足を引っ張るような判断はできない。
・難しい問題なので、まず国会や行政手続き段階で国民が納得できるような議論を十分にすべき。
ご一読頂ければ、司法の責任を放棄する、あまりにひどい内容だということが分かると思います。
もちろん、最高裁判所の正式な表明ではありませんが、OBの発言とはいえ、司法の世界で、「原発問題から逃げ出したい」という考えが広まりつつあるのは確かなようです。現在係争中の運転差止め訴訟や新たに起こされる訴訟に対して、「もう勘弁してくれ」と言わんばかりです。
この人たちは、三権分立をどう考えているのか?政府が間違った判断をした時に、それを正すのが裁判所。小学生でも知っています。
「法の番人」であるはずの裁判所が、憲法の根幹をなす三権分立を、みずから揺るがすような動きに出る。こんなことを許してはなりません。